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【愛媛県】健康公開セミナー
2017年03月16日
 平成28年12月11日(日)10時より健康公開セミナーが、一般公開としてエスポワール文教会館4階会議室にて開催された。公開セミナーは10回目となり今年も著名な講師を招聘して行われた。
 学術部、片山健委員の司会進行により公開セミナーは開始された。日下副会長開会挨拶に続き、大川会長は一般の方々・会員へのお礼と、本日講師の東京有明医療大学教授、大学院教授でご活躍されている橋本昇先生へお礼を述べ、「本日の演題は2020年東京オリンピックに向けて、議題は〜障がい者武道の取り組みについて〜今年パラリンビック、オリンピックがリオで盛大に催されました。パラリンピックについては国内では障がい者スポーツ、障がい者武道は一般、我々を含めて認識がまだ高くなく注目度が低いのが現状であり、本日の講演は注目度を上げていき障がい者の方々に対しての我々の認識を深め知識を共有化していくという事が大変意味深いものであると思っております。」と挨拶された。
 続いて町野学術部長より橋本昇先生の紹介があり、 橋本先生は、下記の通り画像と資料を見ながら項目ごとに講演された。


【講演要旨】
1、オリンピック競技・パラリンピック競技・デフリンピック競技・スペシャルオリンピック競技の概要

1、オリンピック競技について
ピエール・ド・クーベルタンは近代オリンピックの創始者である。明治42年クーベルタンから「柔道をつくつた嘉納治五郎の力でオリンピックを盛り上げてほしい、日本にも参加してほしい」と請われ、嘉納治五郎はアジア初の国際オリンピック委員に就任した。
明治45年第5回ストックホルム大会日本人初参加、昭和7年満州事変、国際連盟から脱退世界から孤立をした。その中でも嘉納治五郎はオリンピック招致運動を3年間かけてアメリカ、ヨーロッパを15か国まわり柔道の得意技である今は殆ど見られない、浮き腰で投げ防御しながらオリンピックの小策をしてまわった。昭和11年7月ベルリンIOC総会にて嘉納治五郎スピーチ「アジアは国力の小さい国が多く、ヨーロッパに選手を送ることさえ困難です。しかし、日本で開催すればアジアの国々は参加しやすくなります。また、欧米の巨大な国力をもつてすればアジアで行っても参加はできるはずです。崇高な理念を持つオリンピックは欧米だけのものではありません。真に世界の文化を目指すものであれば日本で開催すべきであります。」と諮れたオリンピックを日本で開催していいよと議決された。東京オリンピックは現実となり、その大会が終わり帰国される「氷川丸」船上にて79歳で他界される。昭和15年東京で開催されようと固定したオリンピックは日中戦争の影響で返上された。
昭和39年第18回東京オリンピック開催、東京オリンピックで柔道無差別級試合が行われた。「アントンへーシング対神永 昭夫」

2、パラリンピック競技について
 20世紀初頭から、散発的な障害者スポーツの大会は記録されているが、当大会の起源とされているのは、1948年7月28日、ロンドンオリンピック開会式と同日に、イギリスのストーク・マンデビル病院で行われたストーク・マンデビル競技大会とされる。これは、戦争で負傷した兵士たちのリハビリテーションとして「手術よりスポーツを」の理念で始められたものである。1960年には、グットマンを会長とした国際ストーク・マンデビル大会委員会が組織され、この年のオリンピックが開催されたローマで、第9回国際ストーマ・マンデビル競技大会が開催された。この大会は現在、第1回パラリンピック大会と呼ばれている。1988年、ソウル大会より正式名称が「パラリンピック」となった。また、IOCが当大会に直接関わる初めての大会ともなり、この大会からは再び夏季オリンピックと夏季パラリンピックの同一開催が復活した。なお、冬季大会が冬季オリンピックと同一都市で開催されるようになるのは1992年のアルベールビル冬季大会からである。1989年には国際パラリンピック委員会(IPC)が設立され、これ以後、継続した大会運営が行われるようになった。IPC本部は、ドイツのボンに置かれている。

3、デフリンピック競技について
4年に1度、世界規模で行われる聴覚障害者のための総合スポーツ競技大会であり、国際ろう者スポーツ委員会(ICSD、CISS)が主催する障害者スポーツにおける最初の国際競技大会である。夏季大会と冬季大会があり、夏季大会は1924年にフランスで、冬季大会は1949年にオーストラリアにおいて始まった。

4、スペシャルオリンピック競技について
1962年6月にジョン・F・ケネディの妹のユーニス・ケネディ・シュライバー(英語版)が自宅の庭を開放して35人の知的発達障害のある人たちを招いてデイキャンプを行ったのが始まりである。その後、財団joseph P.Kennedy,Jr.Foundationによって全米に活動が広げられ、トロント出身のカナダ人フランク・ヘイドンらが関わり、1968年7月20日に第1回の夏季国際大会がアメリカのイリノイ州シカゴのソルジャー競技場で開催される。1968年12月にはSpecial Olympics,Incが設立される。1988年に、国際オリンピック委員会(IOC)とオリンピックの名称使用について認める議定書を交わす。現在、ユーニスの子息、ティモシー・ペリー・シュライバーが会長を務める。
・現在、スペシャルオリンピックスの競技は夏冬合わせて26種類あり、約170万人の知的発達障害のある人と50万人のボランティアが150を超える国と地域で、この活動に参加している。
・また、スペシャルオリンピックスにはディビジョニングと呼ばれる特殊なルールがあり、これによってアスリートは性別や競技能力によって、競技能力が同程度になるよう組み分けされる。また、スペシャルオリンピックスでは他の人に勝つ事を目標としておらず、アスリートが自己の最善を尽くす事を目的としている。

5、海外における障害者事情
(1)スウェーデンにおける障害者武道(柔道)ストックホルム・ボーデン、稽古風景
(2)韓国(障害者スポーツトレーニングセンター)の内容・種目

6、日本における教育と柔道
東京都立A特別支援学校・愛媛県マミー学園・江東区立A中学校【事例報告】

2020年東京オリンピック競技大会
パラリンピック競技大会
オリンピックと名の付くすべての大会が、子供たちに夢と希望を与えられる大会、そして、老若男女を問わず全てのひとが柔道をはじめとするスポ-ツを通じて輝ける環境が必要だと考える。
講演後、質疑応答にも快く答えていただき、井上副会長閉会挨拶にて終了した。
           広報員 井関 澄男






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