検証と論証

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検証と論証<1>

東京都 星野三郎

 

はじめに

柔道整復業と隣接医療,柔道整復師の環境権(知的財産権),柔道整復師に関する法規,慣習,組織,柔道整復業をめぐる諸問題について,検証と論証する。

今回は,接骨の名称は禁止「柔道整復」で公認された経緯について,検証する。

 

従来の接骨治療の社会通念

柔道整復師の免許の有無にかかわらず,柔道の先生または,柔道の修業者(特に高段者)は,接骨の先生のように思われている。この観念は現在でも一般に潜在意識として,続いている。

これは,柔道と接骨の歴史的な関係で,武医同術の思想に根元がある。しかし今日では,柔道整復師の免許を取得するには,厚生大臣の指定する専修学校を卒業し,国家試験に合格しなければならない。

旧法の時代でも,柔道の有段者という条件,で接骨術を研修し,監督官庁の行う試験に合格した者が,営業を許可されたという経緯がある。

 

柔術と接骨の関連

古い武術の歴史をみれば,武士の戦場の格闘方法は,専ら剣術と柔術が中心であったが,徳川氏が政権をとり,戦乱が終局してから,その内容と性格が大いに変化した。

柔術は鎧組打ちから平服組打ちになった。つまり平和な時代を迎えて,日常の護身武術的な性格に変わったのである。

しかしながら接骨術については,古流武術の流祖は,競って,勝負の場から接骨技術を共に学び,殺傷を否定しながら暴力のみを制御するための「倒すこと」「抑えること」の技術を大いに発展させた。しかも,徳川時代まで,それが医学の主流をなしていた。

これに関連し,接骨術も鍼灸術も大いに研鑽し,救急療法,死活法,繃帯法,薬用法,塗薬製法等,各流派が挙げて発展に努力したので,領民の信頼を得るに至った。

 

柔道整復師法により法的身分の確立

明治初期は,文明開化の名の下に旧来の慣習を破り,盛んに西洋文化の輸入に務めた結果,武術,柔術は体育へと変化したので,日本古来の武術,柔術はその権力的な余波と迫害によって,西洋医学一辺倒にして,東洋医学を切り捨てる政策を実行したので,接骨師は苦難の道を歩み続けた。

多くの会員が,接骨師の歴史的過程,取締規則等について,業界の関連機関誌等で論議,説明しているので省略するが,これだけは知って,認識を新たにする必要があると信じている。

 

内務省医務局,大島辰次郎局長の理解と尽力

接骨に関して深い理解と同情を示したが,接骨についての措置は,既に禁止されているので,接骨術として認めることはできない意向を明らかにした。

これでは接骨の本当の姿が骨抜きになるので,三浦謹之助,井上通泰両博士といろいろ協議の末,大島医務局長,警視庁医務部長などとも相談して,「柔道整復術」として,復活することが決定した。

大島医務局長は,柔道整復術が,いよいよ公認される段階になったとき,諸般の経緯について,次のように説明している。

 ・接骨は,内務省令で禁止になっているから今後この字句は使用できないこと。

・柔道による整復だから柔道整復術としたこと。

 

三浦謹之助医学博士の論説

柔道家に柔道整復術を許しても決して,世を毒する如き憂いはないと擁護した。

 

天神真楊流, 萩原七朗先生

柔術整復術の公認運動の先駆者

骨接ぎの将来を憂いた萩原先生は,一身を投げ出して,接骨術の法的身分の確立のための運動に入った最初の人である。

大正元年に運動を起したが,しかし,施政は,「明治16年,既に接骨は禁止されている」とのことで常に無視され続け,無念の涙の連続であった。悲願の法制化は難航し続けたが,天神真楊流の井上敬太朗先生の門人である三浦謹之助博士の絶大なる助力により,大正9年,柔道の有段者という条件がついたが,接骨の業務が柔道整復術と正式に公認されたのである。

 悲願の法制化は,難航し続けたが,多くの有志の方々の努力が続けられたことによって,当局の粋な計らいがあった。禁止された接骨の文字はつかわないで,近代的な柔道整復術という名称ならばという柔軟な方向がとられたのである。

 

柔道整復師の称号は正当(法的根拠)

柔道整復師法(昭和45年法律第11号)

<第一条>子の法律は,柔道整復師の資格を定めるとともに,その業務が適正に運用されるように規律することを目的とする。

柔道整復師の称号を整骨師,接骨師などに変更を求める会員と柔道整復師は当然とする会員がおります。

感情論で主張することには同意できない。柔道整復師とは,柔道整復師法に定められた名称であり,従って,柔道整復師法に法的根拠を有するので,変更するには相当な困難が生ずると思料する。

例えば,医師法に基づき「医師」

歯科医師法に基づき「歯科医師」

保健婦助産婦看護婦法に基づき「保健婦」「助産婦」及び「看護婦」

の称号がある。すべて法により名称の独占と保護制度がある。すでに行政,司法から柔道整復師という名称が,通達,判例による判示がある。

 

<参考>

業務の禁止

第15条 医師である場合を除き,柔道整復師でなければ,業務として柔道整復を行ってはならない。

「柔道整復」

 柔道整復とは,打撲,捻挫,脱臼,骨折等の疾患治療の方法として,患部その他を揉み撫で,引き伸ばすなどする施術をいう。

(「特別刑法」元検察官 安西 温著)

柔道整復

 柔道整復とは,医療又は医療の補助の目的をもって,柔道実技の知識技能に基づき人の身体の打撲,捻挫,脱臼及び骨折に対しその回復をはかるため行う施術をいう。

(「刑罰法,犯罪事実の書き方とその理論」元高等裁判所判事 谷口正孝著)

 

各都道府県,柔道整復師会の会名の統一

柔道整復師会と称する団体 31団体
接骨師会と称する団体   7団体
整骨師会と称する団体  3団体
柔道接骨師会と称する団体 6団体

 

社団法人日本柔道整復師会の傘下にある都道府県の団体は47団体である。その下部構成団体の名称の不統一があるので早急に名称の統一しなければならない。

この不統一が国民に与える悪影響と不信感。行政当局に対しては,団結力のない弱体組織。政治家に対しては,組織力,結集力の弱い政治連盟。一部の会員から接骨師か整骨師かの論議の火種の要因となっている。

都道府県代議員の名刺の肩書はどうであろうか。ばらばらな県もあるでしょう。異質団体か類似団体との兼務役員と思われても仕方がない。これら疑義団体と思われないよう速やかに名称の統一の実現を提議する。

 

<参考文献>

 島津謙治,柔術生理学「柔術死活之瓣解説」

 東京都柔道整復師会60年史

 第五世磯又右衛門 天神真楊流 柔術極意教習図解

 

 

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